山開き前の御岳登山 ’92夏

 

 1992年6月27〜28日に行った御岳登山の山旅は、私にとって大きな意味を持つものでした。すなわち、私の初めての登山であるということです。そして3000mを自分の足で初めて越えるという意味もありました。信仰登山の山として今なお名高いこの山ですが、7月1日を山開きとするため、6月末のこのときは、まだ人の少ないチャンスでもありました。その模様を振り返ってみたいと思います。(1999年10月26日記述)

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 その日、天候は思わしくなく、曇り空からは雨さえも心配されるところでした。岐阜県側の濁河温泉からの御岳登山を考えていた我々(山師匠&私)は、歩行時間の短くて済む長野県側の田ノ原口からの登山に変更しました。大滝村から黒石林道をクルマで上がって行くと、終点田ノ原口に到着します。すでに標高2500m程の高地で、御岳山頂までの標高差は500mくらいというところ。標準歩行タイムは2時間半前後。鳥居をくぐると登山道です。こうして私の生涯初めての登山といえるものが始まりました。


途中の雪渓のひとつ


草木のほとんど見られない山肌

 自然園と言われる比較的なだらかな場所を抜けると、足場の悪い斜面が始まります。ガスがかかって山頂方面は見えません。しばらくいくと右手に雪渓が見え、6月末というのにまだ高山には冬の名残があるのだと実感。それもやがて体で実感することになります。登山道が雪の下へと消えてしまいました。ついに雪上を歩くという状態になってきたのです。雪は適度に固く、足場の悪いザレ場よりはむしろ歩きやすい状態で、しかし滑らないようにつま先を雪に突き刺すようにしながら登っていきます。途中、宗教的なモニュメント(像など)を見ながら、やがて王滝山頂というピークに到着しますが、主峰剣ヶ峰の山頂はまだ先です。


地獄谷から吹き出すガス


山頂から二ノ池を見下ろす

 しばらく行くと、ゴォーッという音の聞こえてきました。御岳の噴火口である地獄谷からガスが吹き出す音です。御岳が活きているということを実感する瞬間。やや恐ろしくなりながらも山頂に近づいたことを知ります。山小屋が見えてくると山頂は目前。山頂小屋横の階段を登っていきますが、その一歩一歩が重く感じました。上り詰めると、ついに剣ヶ峰山頂です。3000mを越えたことも間違いありません。あたりは相変わらずのガスで、ときおり切れ間から田ノ原方面や二ノ池が見える程度です。わが国最高所の池である二の池は、すっかり凍っているようでした。我々は昼食をとって下山。同じルートを戻って行きました。やはりほとんど人に合わない静かな山行でした。


開田高原から見る御岳


忘れな草の群生地

 下山後、この日は開田高原にあるペンションに飛び込みで泊まりました。近くに温泉が出たというので、行ってみることに。プレハブの掘っ建て小屋にそれはあり、鉄分の混じった赤い湯が特徴的でした。料金は不要でしたが、カンパの箱がありましたので気持ちだけ入れておきました。(今は立派な温泉宿になっているそうです)
 翌朝は、開田高原を散策しました。地蔵峠という場所まで行くと東屋があり、御岳の全貌がよく見えます。忘れな草の群生地があるというのでそこへも行ってみると、ちょうど可憐な花が咲き誇っている時期でした。

 


野麦峠から見た乗鞍岳


野麦峠の休憩所などの施設

 その後、日和田高原から岐阜県に入り、野麦峠に向かいました。野麦峠は小説などでも有名になり、ちょっとしたドライブインさながらの場所になっています。この日は天気も良く、小高い場所に上がると乗鞍岳がよく見えました。野麦峠でしばらくのんびりすると、帰途につきました。こうして、生まれて初めての登山に始まった山旅を終えました。これをきっかけに私は山に魅せられていきます。その後の山旅の多くは、このサイトに掲載されているとおりです。
(おわり)

 

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