しらびそ高原の思い出 ’94春

 

 1994年の4月。私と山師匠とで向かったのは南信州のしらびそ高原でした。これも山行記録が残っておりませんので回想してみます。(1999.6.28記述)

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 しらびそ高原へはその前の秋にも日帰りで訪れており、南アルプスを間近に見られる絶景ポイントであることは知っていました。春であれば、まだ雪の残るアルプスの峰々を見られるとの期待で、泊まりで再訪することになったのです。向かう途中の中央自動車道からは、早速南アルプスの白い峰々が望めました。

 
阿智PAからの仙丈岳と白峰三山


同、塩見岳(いずれも南アルプス三千米峰)

 飯田市街を抜け伊那山地方面へ向かいます。山地直下を抜ける、できたばかりの矢筈トンネルを通ると上村に出ます。中央構造線に沿う谷を南下し上村中心地を過ぎると、左に下栗地区へ入る道があります。坂道を登って行き、左カーブを曲がるといきなり正面に雪の山が現れました。「聖岳」です。南アルプス南部のこの山をこれほど見事に見られる地点も少ないでしょう。

 
桃の花咲く下栗の里から南アルプスを望む


その名のとおり神聖な雰囲気の聖岳

 下栗の里は日本のチロルとも呼ばれ、山の急峻な斜面に家々が並びます。そこを細い道がクネクネと続きます。やがて集落を抜けると未舗装の山道に出ますが、この山道にはエコーラインという洒落た名が付いています。路面はひどいのですが、この道の素晴らしいのは、常に南アルプス南部の峰々を眺めながら走れることでしょう。(1999年現在は、ほとんど舗装されているとのことです)


しらびそ高原から見た、兎岳と右後方の聖岳

 
しらびそ高原から見た、荒川前岳


同じく、中盛丸山方面

 やがて、目指すしらびそ高原に到着。オートキャンプ場や広場などがあります。この日の宿泊はここにある「しらびそ山荘」です。この高原からは、荒川前岳、大沢岳、中盛丸山、兎岳、上河内岳、光岳など、南アルプス南部の山々が見渡せます。兎岳の後ろには、先程の聖岳が姿をのぞかせています。

 
しらびそ高原から見た、上河内岳


同じく、イザルガ岳〜光岳方面

 翌日、我々はしらびそ峠の北にある尾高山に登ることにしました。曇り空で展望もいまひとつ。前尾高山という小ピークを越えていったん下がった鞍部には、まだ残雪が豊富に残っており、非常に足場が悪いばかりか、ルートも見失いがちでした。おまけに小雪までちらつきはじめる始末。そのとき、先行者があるのか、目新しい目印が付けられているのを発見。それを頼りにようやく尾高山山頂に達しました。やはり1パーティが先に到着していました。ここから東方面が開けているのですが、あいにくガスの中。おそらく赤石岳が正面に見られると思います。先のパーティはさらに北上し奥茶臼山方面へ向かうようでした。

  我々は引き返し、しらびそ高原へ戻ります。天候は雨に変わりました。しらびそ山荘に到着すると、小屋番の老夫婦が寒かろうということで、時間が早いのにお風呂を沸かしてくださいました。本当にありがたく思いました。そして温かい夕食を腹一杯ごちそうになり、我々はどれだけ生き返ったか知れません。翌朝、山荘にはお客さんが来ていました。野性のカモシカです。野性とはいっても山荘の御夫婦が餌づけをしており、よく来るということでした。お世話になった山荘を後にし、しらびそ峠から地蔵峠へと林道を走りました。

 
しらびそ山荘のカモシカ


地蔵峠のお地蔵様

 地蔵峠にはその名のとおりお地蔵様がいらっしゃいます。ここから大鹿村に入り、中央構造線博物館へ向かいました。さらに小渋川上流にある、小渋温泉の赤石荘で温泉に入りました。こうして、登山とはいえないような山旅を終え、帰途につきました。

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 しらびそ高原には、あのしらびそ山荘は今はなく、ハイランドしらびそというホテル風の宿ができたました。展望風呂などもある素晴らしい施設です。エコーラインも舗装され、しらびそ高原は行きやすい場所になったと聞きます。しらびそ山荘であの老夫婦にお世話になった山旅は、何か遠い思い出のようでもあります。

(おわり)

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