■道草日記   思うがままに、気が付くままに・・・  
  2003.03.11
2003.03.03
2003.02.19

2003.02.18
 

エスキス エキス
清水たたえる、三ツ池
豊かな人生 さらに追求
Simple,Speed,Qualityでがんばろう

 

 




2003.3.11



 新しくなった多治見中学校の校舎は「文部科学大臣奨励賞」(最高賞)を受けましたが、今度は「第5回岐阜県21世紀ふるさとづくり芸術賞最優秀賞」を受賞しました。また、「アーキテクチャー」(日経新聞)という雑誌の表紙で紹介されています。

 多治見市では「エスキス方式」という新しい方法で設計者を決めています。多中の場合も多治見市の設計集団を含めた6社から建物のイメージ図やどういうコンセプトで建物を建てるかを提案してもらい、それを審査して設計者を決めました。結果 は学校建築では定評のある「象設計」が選ばれました。 また、建築は大手の業者と市内の2社の共同企業体で建設しました。

 とても熱心な若手の設計士が担当していましたが、彼の能力が多治見市の建築の「水準を決める」(今年建てた池田保育園も他にはないような質の高い建物になりました)といってよいほど、いい建物を造ってくれました。生徒はもちろん訪れた人が口をそろえて、「いいなあ、こんな校舎でもう一度勉強したかった」といってもらえます。

今回、滝呂小の校舎建設も同じ方法で設計者を決め、地元説明会も済ませました。今回はコンセプトを決めるのに「ワークショップ」を行いました。子どもたちの生活の場としての学校、地域の拠点としての学校と環境を大切にしたコンセプトが出来上がりました。

 今回も地元の設計士にも声をかけましたが、残念ながら参加してもらえませんでした。とても質の高い提案が参加した設計事務所から出され、一枚一枚の図面 を見ているだけでも楽しくなる(それゆえ、審査はきっと難しかったんでしょうね)エスキスが出されました。

 夢が広がる学校ができると確信しています。




2003.03.03



 我が家の近くに三ツ池というかつての農業用ため池があります。三ツ池というぐらいですから、ちゃんと三つ池があり、今ではひとつだけになってしまいました。上の二つの池はとてもきれいな水を湛えた池でしたが、総合グランドの競技施設を造る際に埋め立てられてしまいました。一番小さな三の池だけが辛うじて残りましたが、ため池としての機能をなくし、放置していたため堤防が弱く、危険な状態になっていました大雨の度に決壊するのではないかと心配したものです。

いまでは洪水調整池として残されていますが、平生は30cmほどの深さの小さな池になっています。 多治見中学校に隣接した公園として今は近所の人たちの憩い場になっています。多治見で初めてビオトープ化をした場所で、水辺に葦やイグサ、ねこやなぎ、セキショウなどが繁茂しています。野鳥の好きな人が「ここへはたくさんの種類の鳥がくるようになった。しかも観察しやすくてとてもいいところ」とでかけてきます。百舌が住み着いたり、かわせみが来たり、大きな青サギやササゴイがじーっと魚をねらっています。

 そういえば小さな池なのに昨年はカルガモが子どもを育て、一羽だけでしたが、無事に巣立っていきました。その時は大人たちが毎日はらはらどきどき、大騒ぎでした。中学生が放課後クラブの練習で池の周りを走り回っているような場所で、育っていくたくましさに感心しました。子育て中人を恐れず、かえって人の近くにいることで安全を獲得しているようなところがあって、とても興味深い現象です。

 青大将が泳いでいたり、ヌートリアがのこのこ歩いていたりと早朝の池の周りは結構賑やかです。池の上は雑草の生い茂る湿地でマムシがいると噂されていて、「きれいにしてしまえ」という声もありましたが、「生物たちの場所に提供しよう」というコンセプトを守るため、毒蛇とそうでない蛇を区別できるように、蛇のカラー写真をプリントした看板が立っています。こんな看板は全国にあるのかなと思っています。

 夏から秋にかけて、たくさんのトンボが飛び交います。何気ない公園ですが、桜も美しい並木になっています。是非季節季節で楽しいものに出会えます。そういえば2,3日前、雨上がりにとてもネコヤナギの花が輝いていました。




2003.2.19



「みちくさ」
をテーマにスローライフを考えようという企画が多治見市内で進められています。

 20世紀の私たちの生活は効率性、利便性、大量生産・大量消費、画一性などで特徴付けられてきました。欧米に追いつけ追い越せという意識と文化の大衆化ということが根底に流れた時代でもありました。こうした時代を通過してみて、量を充足するという点は大いに進んだけれど、なにか私たちが失ったものや不足しているものがあると気づかされるようになりました。「生活の質」という点から見るとまだ満たされているとはとてもいえないということに気づいたということなのではないかと思います。

 「みちくさ」は小学生のとき、下校時にいろんなコースを選んで、例えば友達の家まで大回りをしながら、大騒ぎをしながら帰ったり、途中にある多治見工高野球部の練習を何時間も見ていたり、道端の草を摘んだり、筍を抜いて叱られたり、蛇を見つけて怖がったり、と今でも光景を思い浮かべることができます。友人との付き合い方、さまざまな生き物の生態や前を通り過ぎる時に感じ取れる家々の表情や人の生活やその変化を思いやったりと五感を駆使しながら、精一杯「外」を幼い心に受け入れていたように思います。

 学生時代は日々の生活が「みちくさ」そのものでした。どちらへ、どこへ進んでいったらいいのか、目標を見失ったまま何年も道草をして、右往左往していた「みちくさ」そのものの日々が続いていました。理学部数学科に在籍しながら、小説を書いて毎目を送っていました。今振り返ると学校で教室に座って授業を受けていた時間より「みちくさ」の経験のほうが生きいきと蘇ってきます。また、「みちくさ」で学んだことのほうが今の私を支えてくれていることに改めて驚きます。とても人生の幅を広げてくれています。

 今の世の中、実は私たちの育った時代に比べて、随分「みちくさ」しやすい時代であると思われるのに子どもたちに「みちくさしてもいいよ」というメッセージを送る人がいるのかということを考えると私たちの若い時代に比べてもあまりいないのではないかと思います。「みちくさしてもいいよ」と声をかけることで救われる子どもも多いはずです。しかし、それを許さない雰囲気が今の子どもを取り巻いているとしか思えないようなことが多いのではないでしょうか。



2003.02.18



Simple,Speed,Quality

今年の「仕事始め」の挨拶で職員に、この3つの言葉をキーワードにしてがんばろうと呼びかけました。

Simple
は「簡単な」とか「簡素な」とかいう意味ですが、行政をシンプルというのは

1、組織機構はシンプル(簡素)に
2、いろいろな制度はシンプル(簡単)に
3、手続きはシンプル(簡潔) に

といったことが課題になります。制度や手続きをシンプルにすることで、だれにでも分かりやすくなります。行政が「お上意識」を拭い去り、市民の方に顔を向けるということです。

Speed
は「速さ」を意味します。これは誰でも分かるように

1、窓口の対応が速い
2、市民の疑間や要望に速く対応する
3、手続きのシステムが簡秦で、しかも判断基準がはっきりしていて、すぐに対応できる。判断できる。

といったことができるかどうかが、これからの行政に問われます。

Quality
は「質」です。

 行政の行うことが質が高いのかどうか。行政改革をすると「Quality(質)」が落ちるというという批判が出てきます。Simp1eにしたり、Speedを求めるとQua1ityを犠牲にすることになるという批判です。もちろんこれからの行政は質(Quality)の高さが求められます。その質を高めるためには行政が施策を決定する、実行することの他、その結果 を評価し、それを次の政策形成に生かすことが必要です。政策形成の過程と事業の評価をきちんと行うことが大切です。そうすることで行政の質は高まります。政策形成の過程で市民ニーズを的確に把握するためにも「市民参加」が必要不可欠になってきます。

市民参加の手法はまだまだ開発途上。さまざまな実験を積み重ねていかなければなりません。