■随 想 | (2003年度掲載分) | |||
2003.09.01 2003.08.01 2003.07.01 |
第80回 第79回 第78回 |
マニフェストが自治体の計画行政を変えます
市民と行政との新しい関係でビオトープができました 開かれた学校教育を目指して〜地方分権時代の教育改革 |
2003.09.01 第80回 マニフェストが自治体の計画行政を変えます 毎年8月、お盆の頃から「市長ヒアリング」が始まります。全課長を対象に行い、第5次総合計画(5次総)の実付計画を作るための作菜であるとともに、来年度の予算榊成の準備という意味を持っています。また、今年のヒアリングは私が選挙の際に提示した「マニフェスト」(政策実行計画)をどう施策化するかという作業が加わります。 今、選挙の際に「マニフエスト」を公表して、次の政権についた時、どういう政策を実施するのかを明確にしようという動きが広がっています。 これまで政党や政治家の「公約」は呉体的で明確な政策体系になっていることが少なく、政権をとってもどういう社会を創ろうとしているのかがはっきりしない、それが確実に実施されるかどうかも分からない、そういうものでも当たり前でした。 政党間、候補者間で「マニフェスト」を公表することによって、本当の政策諭議ができるようになる、あるいは選挙の際の「利益誘導」の政策を排除する、実現可能性のない政策を認めないといったことができるようになります。公約を実現されるかどうか検証が可能にもなります。 特に、地方自治体の長の場合、現職であれば、「総合計画」が自らの政策体系そのものであり、マニフェストそのもののはずです。そうであればこそ次のような条件の下に「総合計画」が作られていなければなりません。
などです。多治見市ではすでにそのようになっています。 総合計画策定(見直し)、首長選挙(マニフェストの公表)、マニフェストに基づく総合計画の見直し、マニフェスト評価としての首長選挙というサイクルが成り立ちます。 現職でない候補者は公表されている「総合計画」、その「実行計画」を点検し、自らの政策に合わない施策は除き、新たな政策は盛るという作業を行います。あるいは政策体系全体を作り変えるときはどこがどう現在の総合計画が間違っているかを明らかにし、政策体系を作り上げる作業を行うことになります。必要であれば、自治体の職員が費用の算出などにおいて、若干の手伝いをする、これもルール化しておけばよいと思います。 「マニフェスト」と「総合計画」の関係を考えると、首長と行政の関係も極めて分かりやすくなります。基本的に行政の職員は市民が選択した首長のマニフェストを総合計画で施策化して、実施しなければなりません。もちろん制度的に無理なもの、財政的に過大なものは、首長を説得するという場面もありえます。しかし、行政は「政治から中立」ではなく、市民に対して責任を果たすために「マニフェスト」を実施することになります。 このように私は「マニフェスト」の議論が定着していけば、日本の政治、選挙を変えるきっかけになる、自治体の計画行政も変えることにもなると考えています。 このページの ![]() |
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2003.07.01 第78回 開かれた学校教育を目指して〜地方分権時代の教育改革 最近、市町村長の間で教育改革についての議論が盛んに行われています。自治体は地方分権の時代に入ったこともあり、いろいろな改革への試みが行われ、大いに変わりつつあります。ところが、学校教育のこととなるとなかなか自分の思いを現実の施策として実施ができないという思いが強いのです。 最近、全国市長会の中にも「分権型教育に関する研究会」という少人数の委員会が設けられています。私も委員の一人として参加していますが、参加している市長たちのほとんどが現状をなんとかしなければ、という思いを抱きながら出席をしています。自分の思いが実現できないことへの苛立ちを隠しません。 この委員会で市長たちへのアンケート調査を実施しました。その中でも改革への取り組みが必要という市長が多数を占めています。これからどういう方向に向かうのか、今センス(合意)が形成されている訳ではありませんが、なんとかしなければという首長が多いことは事実です。 いじめや暴力、あるいは不登校といった間題、また、学校週5日制をきっかけに急速に問題視され始めた学力低下、あるいは知識優先の教育、モラルハザード(道徳的危険)など子どもたちをめぐる問題に何か手を打たねば、という思いがあるからです。 地方分権時代がやってきました。しかし、市のレベルで考えると市教育委員会(以後「市教委」)を含め、学校教育の中味についてはほとんど手を触れることができません。なぜなら、文部科学省、県教育委員会(以後「県教委」)の縦の関係を作り、権限を独占することで、本来、市民の目で教育の現場をコントロールする制度のはずなのに、市教委には権限を与えないようにしてきたからです。全国市長会の委員会でも現在の教育委員会制度をどうするのかが大きなテーマになっています。また、公立学校の教師は県教委に採用され、国県の費用で給料は払われています。そして、任命権もすべて県教委が握っています。市教委は内申をするに留まっています。市長も市立学校の教師に対してなんの権限ももっていません。 分権時代といっても、学校教育のこととなると市レベルに権限委譲をするという議論はまだほとんどされていません。これも大きな課題と捉えられています。 私はよく「学校のことを社会で、社会のことを学校で」といっています。学校で起こることの多くが学校だけで解決できなくなっているにもかかわらず、社会で考えようという間題意識が学校側にないことが多いからであり、子どもたちに社会性を持たせるために社会の様々なことを子どもと教師が共通のテーマとして学ぶ必要があるということです。 閉鎖的になることなく、学校が当たり前の公の施設としてだれに対してもオーブンでなければなりません。学校で行われている事を誰でも知ることができ、何が起こっているかについても知ることができる、こうした今では役所で当然になっている情報公開や説明責任を学校も果 たすこと、これが出発点です。 こういう状況の中で、多治見市では教育改革を進めるための構想として、政府の「構造改革特区」の第2次募集で「教育特区」の提案をしました。教育委員会の権限の一部を学校長、教職員、市職員、関係団体、地域住民などで構成する運営委員会に与え、その委員会で学校運営をするという案です。教師の任免やカリキュラムの決定、予算執行などの権限を与えるというものです。この案を国は認めませんでしたが、私たちの案と同様の提案をしたNPO(民間非営利組織)があり、今後、実現のために連携していこうと話し合っています。 このページの ![]() |