1/200  戦艦 大和 (素材はニチモ)

左舷

できるだけ キットの部品を使うことにしましたが シャープさを出すため 高角砲の砲身や マストは真鍮線で作リ直した  

後マストの13号電探下の信号用探照灯は リサーチに従い左右2基 とした
(踊り場の面積が小さく2基は搭載できないという説もある)
二つのアンテナを 送信・受信専用としたのか パラレルで使ったのか定かでない

13号電探のトラスを組んだマストは木製だったといいますが 模型では0.3mmの真鍮線をハンダつけして作った


「マストの基部」は
 前2本 後1本 に変更した

15m測距儀の上にある円筒の覆筒(旗艦であったとき白く塗られていた部分)は固定されていて15m測距儀の回転には同期しない

プラモで表現されている
ヒートシンク状の屋根は工事中の骨組みであった事が判明している

リサーチの詳細は
 「連合艦隊」誌に見る戦艦大和のリサーチ 
ボラード 木甲板 手すり支柱


甲板は赤城の飛行甲板と同じように 1mm×1mm の桧の角材を一本ずつエポキシ系接着剤で貼った 大変な作業だったが見栄え は いい。


「海底の大和」の映像をもとに ボラードを通気口に加工 した

「手すり」の支柱は これまで 0.3mmΦの真鍮線を使っていたが 今回は0.2mmΦの洋白線を使い 塗料のボッテリ感を少なくした 


名古屋の南区にお住いで大正9年生まれの後藤さんは 「大和」に工作兵として乗艦され ミッドウエイ海戦に参戦されたそうです  07-4-8 に 当時のお話を聞く事が出来ました   内火艇は「ナイカテイ」と呼んでいたそうです      2011年1月 後藤さんは他界されました

後藤さんのお父さんは 昭和の始めに 道徳公園の鯨、今は壊されてない観音山の観音様、聚楽園の大仏 などをを作った 後藤鍬五郎 です     
名古屋市南区

戦時応急機銃シールドと 高角砲

高角砲シールド の 「モンキーラッタル」は 0.2mmの軟銅線(ビニールコードの芯線)を「コ」の字に曲げて工作した  数が多いのと 寸法が小さいので手間がかかった。

「ジャッキステー」や「手すり」などは すべてハンダ付けで組上げた  素材がプラスチックなので 失敗すると溶けてしまい悲惨なことになるが 瞬間接着剤に比べるとシャープに出来上がる (フラックスに塩化亜鉛の飽和水溶液を使うのがコツ)


舷側の角張った3基の「戦時応急機銃シールド」(ジャッキステーが無い)はプラ板で作り直した

これまで 搭載されていない とされていた「25mm連装機銃」が 2016の潜水調査で発見された 設置場所は不明 という

測距儀と21号電探

武蔵の21号電探は
右舷が受信用で 左舷が送信用 
アンテナ
素子(エレメント)は 送信用と受信用で形状が違っていた 
「21号電探」の実験はこちら
2016の潜水調査でこの残骸が発見された(戦艦大和 最後の証言  P94 

電波探信儀は「電探」と略され たとえば「2号1型電波探信儀」を「21号電探」と呼んだ 21号電探には、エレメントが4列3段の6型、4列4段の7型などの種類があった


13号電探と電探室への給電線は「OYコード」と呼ばれる同軸ケーブルだった可能性がある  (陸上用の13号電探はハシゴフィーダーであった)

「測距儀のシールド」 は
キットのパーツを半円形に修正した 

15m測距儀は「日本光学」で作られ 当時の図面が発見されている
ジブクレーン

キットの船尾は糸鋸で切断して 
カット オブ スターン に修正した


ジブクレーンは 故河井登喜夫さんが 石川島播磨重工で発掘された図面を元に真鍮線で作り直し
 取り付け位置も中心から わずかに右舷側に修正した   大和 は竜骨 が2本あった という

カタパルトはキットのままの プラ材です 近頃はエッチングパーツがありますが高価すぎるので使いません(使えません) 

スクリューは直径 5m 回転数は225rpmと判明している
「直径6m説」も あるが 5m以上では キャビテーションが起こるという   

司令塔と21号電探 

主砲身上に「外とう砲取付金具」を加工した 

弾薬箱はロストワックスの市販パーツを 数個利用したが ほとんどは 1.2mmのプラバンを積層して作ったもの

アンテナ線は0.05mmΦの軟銅線(電子部品のリレーを分解して取り出した)を使った  見えません! 工作中に何度 ひっかけて切ったことか ・・・   空中線の「棒状絶縁碍子」は少々オーバースケールですが 0.8mmΦのアルミパイプを3mmに切って作った

15m測距儀の先端の
カバーは 寄港停泊時 極秘だった測距儀の構造 を一般人に見えないように隠す ことと 塩害の防止が目的だった 
爆風除けの説 もあるが これだけ高さがあれば 爆風の影響は無視できる という

この測距儀は
戦闘海域でない時は主砲の指向と関係なく真横に向けて航行することがあった という

船首の旗ざお

アンカーチエーンは「銀製のネックレス」です


昭和16年以降の新造艦の艦底は緑色だった」という福井静夫説がありますが 今回は、一般的な赤い艦底色を使った

「海底の大和」で確認された特徴のある船首先端の
 「旗ざお」(支柱との間の横棒)を再現した  直径1.5m(2016の潜水調査で1.0mと判明) の 菊花紋章はプラ板で手作り

船首のキャプスタンは ジブクレーンと同じ理由で 中心より右舷にずれている

舷窓の塞ぎ板

舷窓の塞ぎを 3mmのポンチで抜いた紙 で表現した

舷側の装甲板の表現はサフェーサーを吹いて それらしくした。 鉄板のつなぎ目のリベット表現は技術的限界のため加工していない


艦載艇は艦の 定員の約半分が収容できるだけの数 を搭載していたという (「半舷上陸」の意味がわかる)


主砲塔のバーベットは真円ではなく前後14m 左右14.8m 実に80cmの違いがある楕円形だった この理由は装甲板の厚みに違いがあつたからという


大和に乗艦されていた後藤さんの お話ではミッドウエ海戦時は内火艇(「ないかてい」と呼んでいた)は 2隻だけ 搭載して行ったそうです(余った空間を兵員の居住区にしたらしい?)
2番主砲塔と副砲

甲板は1mm×1mm角の木材をプラ材に張ってあります 実感はありますが 製作開始から10年、「経年変化」で はがれ が起こり 修理しながら作りました

主砲塔入り口の扉は リサーチどおり 
「引き戸」として加工した

主砲上の三連装機銃座は戦時応急作りの「六角形」だったという考証に従い作り直した

主砲塔上の「手すり」はチエーンでなく ワイヤーローブが使われていたという
1/200 大和 全景

左舷に5個、右舷に6個ある 換気扇の窓
といわれる穴は 河井さんのコンピュータによる写真分析の報告どおり 四角に変更した 内部に あったといわれる大型換気扇は未加工



正面線図 は こちら

参考文献

軍艦の模型        泉 江三       海文堂出版社
日本海軍艦艇模型保存会         機関誌「連合艦隊」
日本海軍艦艇史     福井静夫
WWU SERIES DX Vol.2 戦艦大和 1/100 SUPER SCALE MODEL
蘇る戦艦大和       河井登喜夫         工作舎

1番、2番砲塔

主砲身の付け根はキャンバスを掛けた状態が普通だが 今回はキャンバスをつけない状態で表現した。
(本音は作るのが面倒・・・)   写真では判りませんが キャンバスを掛ければ見えない 
「キャンバス受け」の先端には ローラーを表現しました

主砲シールドの左右の肩の部分は ニチモ1/200の形状は違う というリサーチ報告があるが ここは修正していない


2番砲塔に乗る 3連装機銃はプラ部品に手を加えたもの

艦船の砲熕兵装には〇式、〇〇式という数字がつけられている (有名な零式戦闘機は皇紀2600年(昭和15)に生産を決定したことを表す  開発は昭和12年で12試艦上戦闘機) 

1桁で表すのは大正時代に制式化したもので 数字はその年を表している  2桁で表すのは 飛行機と同じ皇紀の数である  たとえば92式7.7mm機銃は昭和7年に制式化(開発を開始した年)年をあらわす  (軍艦メカニズム図鑑から 引用)

砲塔の「測距儀」の窓は資料に従い 白色、4っ穴(四重式測距儀)で表現した 

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     「連合艦隊誌」に見る戦艦大和のリサーチ

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